太棹、マリンバ、バンドネオン

あけましておめでとうございます。
祖母が48歳で亡くなったあとの、祖父のガールフレンドたちを思い出している。祖父は別に何者でもなく、歯医者で手堅く食ういっぽう、プロレス、酒、音楽、落語、旅行、新聞の切り抜きを愛好し、中谷宇吉郎寺田寅彦といった理科系の文筆家に憧れたが、書くのはじつはめんどくさいと思っていたふしがある。「暮しの手帖」を創刊号から持っていた。晩年の趣味は経営学の勉強だった。(ちなみに、この祖父の長男である叔父の部屋には「an・an」が創刊号からそろっていて、学校帰りに祖父宅へ寄ってはこの2誌を耽読したものである。)

祖父はマリンバが上手かったらしい。学生時代、よく芸大の校舎にしのびこんでマリンバを叩かせてもらったという。「上手かった」は母や叔母たちの弁なので、実際どの程度だったかはちょっとあやしい。
ただ、太棹三味線とバンドネオンは、楽しく音を出せる域に達したことがあるようだ。
祖父はこのふたつの楽器をどういういきさつでたしなむようになったのか。祖父の音楽仲間はどういうひとたちだったのだろうか。爺ちゃんは18年前、あの世へ転宅した。少し遠すぎるし連絡手段がないので、聞いて確かめることはできない。
知りたい。そういうひとたちが生きていたら、会いたい。
どっかのだれかが写真とか持ってないかな。(普通の三味線を手にした、宴会の写真だけが数葉、残っている。)
祖父が愛好したのは、クラシックとラテン音楽と邦楽。太棹ってことは、もしかするとロックを好きになるような志向もあったのかもしれないな。

そんでもって、なんだかわたしは最近、自分の素姓の通りの悪さを、すっかりこの祖父のせいにしようとしているみたいっスわ、でっへっへっ。