読み手を描写につき合わす(よい意味での)横暴

ひょんなことから23、4年ぶりに再会した友人と晩ご飯を食べ、昔話オンリーで終始せずに、「杉浦日向子の『百日紅』はいいよねー」などとしょっちゅう会う友人との会話のような話題運びになって、友だちとはそういう相手であることをしみじみ感じさせられたり、その『百日紅』を最初に薦めてくれた、第1期給料盗り時代(20年前)の同僚というかちょっと先輩にも会う機会があったり、30年近く前に生まれて初めてちゃんとつき合った(といえると思う)相手と呑みに行ったりしてるうちに7月も過ぎようとしております。

ところで、村上龍の『五分後の世界』を読み終えたのだが、いま目の前に同じ文庫版(幻冬舎)が2冊ある。Sが貸してくれたものを読み始めてまもなく加速。ところが先日、出先に置き忘れてしまい、自宅への帰宅途中、日比谷線の電車の中でどうしても続きが読みたくなって、居ても立ってもいられず、六本木で途中下車して駅上のあおい書店で購入。その後も自宅と妾宅を行き来するように、2冊をスイッチングしながら読了したのでした。上の本日のタイトルは、本書の感想のひとつである。

結局、『イビサ』を読んでいないから、村上龍を読むのも、『限りなく透明に近いブルー』以来、四半世紀ぶりかもしれない。