「骨抜きになっています」

スーパーで生鱈の切り身のパックを購入。
値段の表示されているラベルに、
「骨は抜いてあります」と記載されていて、
なおかつ、それとは別にシールが貼ってあり、そこには
「骨抜きになっています」とあった。
「骨は抜いてあります」だけでじゅうぶんなはずである。
そこへ、「骨抜きになっています」と念押ししているのである。

「骨抜きになっています」――この言い回しはどうしたってニュートラルではない。
黙って見過ごすことはできない。
思わずスーパーの売り台の前で、
「おいおい、骨抜きになっちゃってるのか」
と生鱈の切り身に向かってそっと小声でツッコんだほどである。

このレベルの微妙さ、つまり
いかにも「これは笑えまっせー」的な領域に達する直前の
寸止めの微妙さはどちらかというとかなり好きだが、もし仮に
「骨抜きにされちゃいました。アハン」
というおさかなちゃんのシールが貼ってあったとしても、
そうしたベタさもそれはそれで歓迎したい。
そういうシールは大切にとっておいて、
大事な殿方と一献傾けているときに自分のおでこに貼るか、
向こうのおでこに貼ってやりたいものだ。