なにが「翻訳三昧」だ、「ラストスパートだ」

先日の己の文章を俎上に載せたい。

「このところ一歩もシャバへ出ずに翻訳三昧」。なにやら優雅である。そこにウソがある。自己管理がなってなくて発生した遅れを、納期を守るべく、なんとかとりもどそうと必死コイてる、というのが実情である。

「ラストスパートをかける作業は……」。これもかなりウソ。じつはラストスパートをかけはじめたのが10月下旬であり、見込みでは、12月10日くらいまではゆうにこの状態がつづくのだ。ラストでもスパートでもねーだろ!って感じなのだ。
え? 見込みがまたまた甘いんじゃないの、とな? え〜、それほどでも〜。(←末期的なボケ。)

というか、目下の稼業にたずさわるかぎり、だいたいいつもラストスパートなのであり、もしかすると人生そのものがこのままずっとラストスパートなのである。
まだある。上記のこの口ぶりは、ラストスパートをかけようと意図すれば、難なく、訳なくかかるがごとき印象を与えていて、はなはだエエかっこしぃではないか。
ラストスパートなんぞ、そう簡単にはかからないのである。
かからないラストスパートを無理やりかけようとする、ラストスパートな人生なのである。
多分にデスパレートなのである。