おめでたかったり、さびしかったり

ブログの文章は、関心を寄せてくれる読み手が確かにいるという前提で書かれたものと、だれも読まないとほぼ勝手に決めつけ、あやうく独り言に陥ってしまいそうな文章のふたつに大きく分かれる気がしますんですが、どないでしょうか。度が過ぎると、前者はおめでたいし、後者はさびしい。どっちの極に寄っているかは結構興味深いものだが、寄っていても寄ってなくても、ま、どっちでもいいんでしょう、たぶん。ブログなのだから。
もっとも文章にかぎらず、ただしゃべっていても、そうした傾向を感じさせるお方もいてはりますなぁ……。

5日(水)夜はシャバへ。石原壮一郎氏の新刊『30女という病 アエラを読んでしまう私の悲劇』(講談社)の、出版記念パーティー――などと抹香くさい呼び方をしてはいけませんね。厳密には、「(同書の出版を祝して)石原さんとワイワイ食べて飲む会」へ(@新丸の内ビル内某処)。
石原さんは、かつて彼が「ミスターQ」として各界各所を跋扈していたころからの知り合いである。知らないでしょう、ミスターQ。このひとの業績は、養老孟司とならんで、90年代、皮肉とユーモアのセンスをニッポンの活字の世界で普及させたことだと認識しています。

――えー、書いてるそばからナンですが、「ユーモア」って、なんだかフガフガ、どんよりしていて生きの悪い言葉だ。「ウィット」に至っては、嫌味で小賢しい、絶対に友だちになりたくないドラ息子のような言葉である。(松尾貴史さんにははなはだ失礼だが、そいつの顔はきっと松尾さんに似ている。)といってこうした概念を指し示すのに適当なほかのニホン語がなく、困っている次第だが、困ってるったって、言うまでもなく、生きていけないほどじゃあありません。でも困ってるのだ。

6日(木)は「古今亭志ん五独演会」をやむなくパス。翻訳を進める。そうなんっス、まだラストスパートなんっス。うきゃー。