「鼻毛を読む」、夢野久作説

以下は、Wikipedia「鼻毛」の項で取り上げられていた夢野久作の随筆「鼻の表現」(三一書房夢野久作全集7』、1970年)からの引用です。先ほどM区Y中央図書館へチャリを転がし、本書を借りて参りました!

それを読んでいただく前に、落語家の立川雲水さんから頂戴した示唆を添えておきます。
狐というものは、眉毛の数を見抜いた相手をだますとされたらしい。だから、眉毛の数を数えられないよう、つばをつけたというんですね。この「眉つば」の由来をどうぞ頭の片隅に置いてお読みください。

「……もっと主観的な形容の方では、『鼻下長』とか『鼻毛が長い』と言う言葉もあります。『もあります』位ではない、随分と方々で承るようであります。

御知り合いのうちにお出でになるかも知れませんが、お美しい夫人を持たれて内心恐悦がっておられる方や、すこし渋皮の剥けた異性さえ見れば直ぐにデレリボーッとなられる各位の鼻の表現を指したもので、何も必ずしも具体的に鼻の下や鼻毛が長いという意味ではありません。唯さようした方々のさよう言ったような心理状態を鼻が表現しているために、かよう言ったような形容詞を用いたものらしく考えられるのであります。

(中略)つまり異性に対して恍惚としていられる方の気持はともかくもダレていて、天下泰平ノンビリフンナリしている処があります。そのために鼻の付近に緊張味がなくなって、鼻の穴が縦に伸びて中の鼻毛でも見えそうな気分を示すので、これは誠に是非もない鼻の表現と申し上ぐべきでありましょう。

(中略)ただその態度のうちに相手をすっかり馬鹿にし切って鼻毛までも数え得ると言う冷静さと同時に、上っ面だけは甘ったれたのんびりした気分から鼻毛でも勘定して見ようかと言う閑日月が出て来る。その気持を代表した睡そうな薄笑いがそうした場合の女性の鼻の表現に上ってはいまいかと想像し得る……(後略)」(「鼻の表現」より。『夢野久作全集7』)

つまり、とんだ牝ギツネなら眉毛の数を数え切ってなお余裕綽々、鼻毛の数まで数えて殿方をたぶらかす、ということなのでしょう。